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讃岐うどん談義|おか泉交流録

第5回 村山 慎一氏

伊勢丹の食材を買い付ける プロの舌を満足させた讃岐うどん

●大好きな「食」を通じてお客さまに喜んでいただける仕事

兵庫県香住にて

 私は小さな頃から食に興味を抱いておりまして、小学生の頃からお小遣いを握りしめて、時刻表片手に見知らぬところに美味しいものを食べに行くなどしておりました。中学生になって「自転車」を買ってもらい、大学に入るとアルバイトで買ったバイクを手に入れました。そうして行動範囲が広がっていくと共に、全国の未知の美味しいものとの出会いはますます増えていきました。

 そして就職の時期を迎え、「自分の好きなことをして多くの人に喜んでもらいたい」との想いから百貨店の食品担当という道に飛び込みました。

「心から好きなことをして、それを喜んでくれる人たちがいて、仕事にもさせていただいている」

 そんな喜びを感じ、また周りの方々に「この人と仕事が出来てよかった」と思っていただけるような存在でありたく、楽しみながらも、自分にとってより未知の高いところにいけるように妥協をしないよう打ち込んできました。

●出会いのきっかけは食品フロアでの催事

 様々な担当を経た後、ある時新宿店のB1食品フロアにある催事場の担当になりました。その前の年には、上層階で行う大型催事の担当をしていたので、「上の階ではやらない地域の食を紹介しよう」と思い立ち、初めて手がけたのが今も続く【春の四国・瀬戸内 美味物語】だったのです。

 「百貨店のお客さまに感激や感動を与え、地元の方にも胸をはっていただき、ひいてはお客さまにその地域やお店を訪れていただきたい」という理想の元に準備がスタートしましたが、四国には行ったことがあっても当時は他の百貨店などもほとんど手がけてなく、参考になるものも少なく壁に当たってしまいました。

 そこで基本に立ち戻り、まずは「四国で誰でも知っている有名なもの」の中で「地元の方々に本当に愛されているもの」を探すことにしました。そこで出会ったのが「おか泉」さんの「うどん」だったのです。

 「おか泉」さんも百貨店、そして東京で商売をするのは初めてとの事で、試行錯誤しながらも何とか催事がスタートしました。「讃岐うどん」という言葉は聞いたことがあっても、本物を食べたことのある人や、「おか泉」さんの名前をご存知のお客さまもほとんどいなかったはずです。しかしそこは地元の方も一目置く人気店。味には絶対の自信があるので、まずは「試食をしていただき気に入ったら買っていただく」という商売の基本に徹した結果、記録的な売上を作っていただくことが出来ました。

その後、プライベート含め何度かお店や工場を訪れたり、お話を伺ったりするうちに、岡田社長の「もの作りのプロ」としての妥協のない姿勢、なにより「うどん」のみならず「高松」、そして「ふるさと」を愛する気持ちに深く共感し、直接の担当を離れた今も良いお付き合いをさせていただいております。

●仕事を超えたおつきあい

愛媛県砥部焼 梅野製陶所にて

 岡田社長の「故郷に恩返しがしたい」という想いから、先だってはふるさとである兵庫県の香住に一緒に行かせていただきました。現在の自分の担当(生鮮担当)で出来ることで、また違った形でお役に立てたらと思っております。

 仕事柄たくさんの「食」と出会い、その後「讃岐うどん」も幾度かいただく機会に恵まれました。自分で食べるのはもちろんですが、今でも大切な方には「おか泉」さんの「うどん」を贈ったりさせていただくほど、出会うことが出来てその後の食生活が豊かになった「日本の食」の一つです。

 これからも多くの人たちに、自分と同じような出会いをしていただけるよう、お互いに末永いお付き合いをさせていただけることを心から願っております。

村山 慎一氏のご紹介

1968年浦和に生まれ、ずっと浦和育ち。お客さまの橋渡しという立場からの「食」の世界をこころざし、1994年に伊勢丹に入社。様々な担当を経た後、2004年4月に開催した催事を通して「おか泉」と出会われました。その後も交流を深められ、今では仕事を超えたお付合いになっているとか。現在は新宿店フレッシュマーケットバイヤーを担当されています。

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