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讃岐うどん談義|おか泉交流録

第6回 山岨 眞應氏

当人もあずかり知らぬところで 密かに繋がりあたためられていた縁

●実際に出会う前から繋がっていたご縁

おか泉前にて

 「おか泉」の岡田文明社長のご出身は、兵庫県北部の香住です。私の居ます寺は、同町内にある大乗寺と申しまして、高野山真言宗の末寺。岡田家は大乗寺の檀家さんになります。

 私がサラリーマンを辞めて大乗寺にお世話になりましたのは、1985年4月(昭和60年)ですから、実際にお出会いする機会はそれ以降ということになりますが、お出会いする前から縁(えにし)があったわけですね。

 大乗寺では岡田社長の御尊父(故人)より常々、おか泉のこと、岡田さんのことをお聞きしていたのですが、実際お会いするまでは、おうどんを頂戴したり、通販で求めたりする程度のお付き合い(?)でした。ようやくお会いできたのは、今からわずか5年程前のこと。帰省された折りに岡田さんが当寺へ立ち寄られたのですが、その時の交流はご挨拶程度のものでした。

 しかし昨年、岡田さんとの不思議なご縁を感じずにはいられない出来事がありました。大乗寺の檀家の皆様と一緒に四国巡礼に出かけ、途中休憩を取るため山陽道のSAに停車したのですが、バスを降りるとその真ん前に駐まった車から岡田さんが降りてくるではないですか。聞けば岡田さんは商談へ向かう途中で、普段は別のSAで休憩していたのに今回だけこのSAへ立ち寄られたとのこと。なんとも不思議な偶然です。

昭和51年秋頃撮影 かな泉屋島店にて

 また私はその現場にはいなかったのですが、33年前に当寺の四国巡礼団が香川を訪れた際、一軒のうどん屋さんに立ち寄りました。そのお店におられたのが、うどん修行を始められたばかりの岡田さん。この時に岡田さんは「いつか自分で店を持ち、大乗寺のご一行をお招きできるようなりたい」と心に誓われたのだそうです。

 去年ののSAでの出会いがきっかけとなり、今年の巡礼では「おか泉」さんのお店へお邪魔させていただきました。「33年越しの夢が叶った」と、岡田さんにも大変喜んでいただき、私もうれしく思います。

 おか泉交流録の第一回に登場されている、善通寺の管長を務められました蓮生善隆猊下(故人)は、御幼少の頃、大乗寺で修行されています。その縁で、猊下は社長の御尊父とも親交がありました。

 蓮生善隆猊下が大乗寺に来られた折のことです。猊下はまだ修行中の駆け出しの小僧であった私の手を握って「頑張りなさいよ」と励ましてくださいました。あの時の、手のぬくもりは忘れられません。それと同じ励ましを岡田さんも受けられたそうです。道は違ってはいますが、お互い一生懸命にやっている同門ということでしょうか。

大乗寺四国巡拝団御一行様

●大阪のうどんと讃岐のうどん

大乗寺、円山応挙座像前にて

 大阪生まれの私は、きつねうどん(大阪では、けつねうどん)しか知らなかったのですが、讃岐うどんを知ったのはカルチャーショックでした。実にうまい。

 坊さんのうどん好きは良く聞かれる話ですが、私も修行中の御馳走はうどんでした。もし讃岐うどんを修行中に食することができていたなら、修行中の悲壮感がもっと和らいだかもしれませんね。

 大阪のうどんは、お酒に例えるなら日本酒のようなものだと思います。刺身のような肴がないと単品で楽しむのは難しい。きつねうどんもご飯と一緒に食べられますが、単一でメインを張るには力不足ですね。

 片や讃岐うどんの立ち位置は、ビールや焼酎のようです。単品でも勝負できるし、他の料理との組み合わせも力を発揮できる。出汁と具と麺が揃って完成形になっている大阪のうどんに対して、あくまで讃岐うどんの主体は麺ですから。柔軟な発想をどんどん取り込んで進化を続けることのできる奥深さを感じますね。

 「おか泉」さんのうどんを例えるなら、梵字の『』(ウン)ですね。この字は色紙にも書かせていただきました。真言のエッセンスである光明真言を一文字で表すと『』になります。岡田さんのうどんのこだわりのエッセンスと頑張りも音にすると『』ですから、何か通ずるものがあるのではないでしょうか。

は梵字のウン〔文字にマウスを乗せると拡大表示します〕

山岨 眞應(やまそば しんのう)氏のご紹介

1952年大阪に生まれる。1976年京都大学工学部石油化学科卒業後、10年間化学メーカーの研究室で電子部品用紫外線硬化樹脂、ポリプロピレン変性レトルトパウチ用接着剤、静電トナー用樹脂、水系アクリル樹脂などの研究開発を主にしつつ、印刷インキや塗料などの改良に携わる。1986年僧侶としての人生を歩むべく、大乗寺住職長谷部眞道師に弟子入り。1991年高野山大学大学院文学研究科密教学科修了後、大乗寺に。1998年大乗寺副住職に。

大乗寺のご紹介

745年(天平17年)行基菩薩により但馬地方に開かれた、高野山真言宗の古刹。江戸時代中期の画家・円山応挙とその一門によって描かれた襖絵が多数残されることから、「応挙寺」の名でも知られる。これは修業時代に当寺から支援を受けた応挙が、大成した後、住職の恩義に報い弟子と共に描き上げたもの。襖絵のうち165点が国の重要文化財に指定されている。

もっと大乗寺について知りたい方は
大乗寺 円山派デジタルミュージアム http://museum.daijyoji.or.jp/
高野山真言宗 亀居山 大乗寺 ホームページ http://www.daijyoji.or.jp/

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